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sweet
コンコン。
「インテグラ様ー、お茶をお持ちしましたー」
深夜に近付いても、まだ務室の灯りは消えていない。
「ああ、有り難う」
エンドレスに立ちのぼる紫煙の下で、インテグラは顔も上げずにペンを走らせ続けていた。
このご時世、手書きの文書などナンセンスかと思われるが、意外に形式を重んじる風潮が
根強いため、愛用の万年筆は手放せない。
お茶は、いつもは執事が持ってくる。彼ならば芸術的なまでの完璧な作法で、
主に茶を差し出すことができる。が、彼は時々、その大事な任を婦警に任せた。
彼女の、そこにいるだけで空気を和ませるような、独特のとぼけた個性が、
この館の女主人にとって、作法よりも必要な時がある――そう判断してのことだ。
「今日は、紅茶じゃなくってハーブティーなんですよ。菩提樹とか、ウスベニアオイとか…
あと忘れちゃいましたけど、すごく気分が落ち着く効果があるそうです」
婦警は、銀のプレートを広いデスクの端に置くと、小さな銀色のポットから、
丸い硝子のティーポットに湯を注ぎ、砂時計をひっくり返した。
インテグラは、ようやく文章に一区切りがついたのか、顔を上げた。
「綺麗な色だな」
ポットの中では花が開き、湯は透き通った青色に変わっていった。
「ですねー。こんな綺麗なお茶があるんですね」
インテグラは肘をついてあごを載せると、しばしその色を見つめた。
と、突然喉がいがらっぽくなり、葉巻を灰皿に置くと、手で口を押さえ、咳き込み始めた。
「あ、あ、インテグラ様、大丈夫ですか!?」
「だぃ……」
大丈夫、と言おうとするのだが、肺の奥からのような咳が、ひとしきり止まらなかった。
婦警は慌てて、壁際に置かれたミニテーブルの上の水差しを取り、コップに水を注ぎ、
インテグラの前に差し出した。
「ああ……もう大丈夫。すまないな、セラス」
みっともないところを見られたというようにインテグラは苦笑し、葉巻を灰皿に押しつけた。
「本当に大丈夫なんですか?」
「よくあるんだ。別に、風邪でもなんでもない」
インテグラは婦警の労をねぎらうように、コップの水を一口だけ飲むと、そっと横に置いた。
婦警は、何だか言いたそうな、心配そうな眼をして、彼女を見つめていた。
「……セラス、砂時計が落ちきってるぞ」
「え? あ! はい、すみません!」
指摘されると、婦警は慌ててティーポットの茶こしを引き上げると、
華奢なティーカップに注ぎ始めた。
「インテグラ様、ちょっと蜂蜜入れませんか? 疲れに効きますよ、きっと」
「いや……別に」
「インテグラ様、最近よく、ふらついてるじゃないですか。疲れがたまってるんですよ」
近頃インテグラはあまり食欲がなく、まあそれ自体よくあることなのだが、
丁度体調が下降線をたどっている時期なので、座っている時はともかく、
急に立ち上がったりすると、立ちくらみすることがあった。
「ね? 気休めかもしれませんけど……甘いものって、元気出ますし!」
何だか必死に訴えかけるような婦警の顔に、インテグラはちょっと気押され、
そしてその後に、ふっと息をついて。
「そうだな。じゃあ、ちょっと入れてもらおうか……」
その言葉を聞くと婦警は安心したようにニッコリ笑い、カップのお茶に、蜂蜜を垂らした。
「はい、どうぞ。ウォルターさんみたいに、ちゃんとした入れ方じゃないと思いますけど……」
「有り難う、セラス」
確かに婦警の物腰は、スマートさには欠けているものの、心のこもった一杯を
差し出す行為としては、充分過ぎるものだった。
一口、インテグラがハーブティーに口を付けると、その透き通った軽い香りと共に、
じんわりとした甘みがすうっと体の中に入り、頭の上から何かが抜けていくような感覚を覚えた。
普段、紅茶にも砂糖は入れないのだが、何だか今日の甘みは、体にしみ渡る。
今、彼女の体に不足している滋養が、僅かでも補われるからだろう。
インテグラは自然に、深く息をつき、眼を閉じた。
「今日はこれくらいで仕事も切り上げるか。――有り難うセラス、もう下がって良い。
片づけは、また後でウォルターが来てくれるだろう」
「はぁ……」
インテグラに言われても、婦警はデスクの横に立ち尽くしたまま。
ちろちろと上目遣いで見るように、ちょっと遠慮がちながら、両手を自分の前で合わせ、
どうしても気になることがあるような様子でいた。
「どうした。何か、言いたいことがあるのか?」
そんな婦警の様子に、威圧的にではなく、インテグラは尋ねた。
「あ、あのう、インテグラ様……私のような立場の者から申し上げるのは、
分不相応だとは思うんですが……」
婦警は言いにくそうに、でも決心したというように、くっと顔を上げると、
「あのう、お煙草は少し控えられた方が良いと思います!」
「……は?」
インテグラは、思わずポカンと口を開けた。どんな悲壮な決意でもしたのかと思いきや、
そんなことを言われるとは、思いもしなかった。てっきり、従僕がいじめるとか、
傭兵達がセクハラし放題でモー我慢できません!とか、そういうグチかと思っていた。
だが婦警は、さっきよりも真剣な顔で、デスクに両手をついて身を乗り出すように、
「お気を悪くされないで下さいね? ストレスが多くて大変なお仕事だというのは
分かってますから……こんなこと言うの、ホントにはばかられるんですけど、
でも、私が警察にいた時……すっごいヘビースモーカーの課長がいて、
ある日突然『胸が苦しい!』って倒れちゃったんですよ」
突然ドドッと喋り始めた婦警に、インテグラはただ、キョトンとして話を聞いていた。
「課長もよく、ゴホゴホって、肺に入ったような咳をしていたんですけど……。
――肺に、穴が空いちゃってたんです」
「肺に……穴」
「そのまま入院で……しばらく復帰できなかったんですよう。もう、メチャメチャ
心配しました! 原因は、明らかに煙草の吸いすぎだったんです」
その時のことを思い出したのか、婦警はちょっと眼を潤ませていた。
「葉巻はもっと肺に負担がかかるって聞いたし……。インテグラ様に何かあったら、
ウォルターさんだって悲しむし、マ……マスターだって、きっと……」
「――分かったよ、セラス。落ち着いて」
家族の無い婦警にとっては、職場の人間への思い入れは、想像以上に強いのだろう。
インテグラは、ズビっと鼻を鳴らした婦警に、自分の白いハンカチを差し出した。
「す、済みません、何か……急に色々、思い出しちゃって……」
婦警は、絹のハンカチで目頭を押さえた。
柔らかくて、何だか華やいだ良い香りが、ふうわりと鼻腔を覆った。
「心配させて悪いな。だが私は大丈夫だ。――ウォルターが強制的に、
健康診断も年二回受けさせるし」
インテグラが苦笑すると、婦警は鼻を押さえたまま、目を丸くして、
「そ、そうなんですか? ホント……出過ぎたことを言いました。お許し下さい」
そういえば自分なぞより、あの執事がこの女主(あるじ)の健康について抜かりないのは
当然のことだと思い当たり、婦警は今更ながら、自分の出しゃばりを恥じた。
それを隠すように、くしゃくしゃと顔をハンカチでこすると、
「あ! スミマセン〜、お借りしたものなのにぃー」
借り物であるハンカチだったということに気付き、またトホホな自己嫌悪に陥る婦警を見て、
インテグラの口元に笑みがこぼれた。
「――可愛いな……セラスは」
その言葉に、婦警は一瞬固まり――その後、恐竜並みの鈍い痛覚がやっと達したかのような
タイムラグを経て、ボッと頬を赤らめた
「えっ……えっ、あっ……」
陶磁のような頬を少女の色に染め、アゴをカクカクさせている婦警に、インテグラは、
「どうした?」
「あ……何だろ、インテグラ様みたいなステキな人にそんなこと言われると……
て、照れちゃいます……」
たはっ、と肩をすくめ、婦警は髪に手をやった。
「男の人にもそんな風に言われたことないし……」
「傭兵連中には随分人気だろう」
大袈裟だな、とインテグラが笑うと、
「あんなのと一緒にできません! インテグラ様の方が凛々しくて頼りがいがあるし、
男らし……」
熱弁をふるいかけて、ハッと口を押さえた。あわわと両手を振って、
「あっ! あの、違うんですよ、男前ーとか、女っぽくないとか、
そういうことじゃなくて、ああぁー!!」
何を言ってもドツボになりそうで、婦警は頭を抱え込んだ。
エラいテンションの高い婦警に、インテグラは冷静に、
「セラス、良いから。気にしないよ別に」
「もぉー……アタシ、何か舞い上がって混乱しちゃってますぅ。
ホント今夜は申し訳ございません! ございません!」
自分がイヤ!というような顔で、婦警は何度も何度も頭を下げた。
そして、その後、そっ……と盗み見るように、インテグラの方を見上げた。
女主は、普段あまり考えられない程やわらかい、優しい笑みを浮かべ、
彼女を見ていた。目が合ってしまい、またちょっと赤面する。
「あの……お茶、冷めてしまいますから。って、私がお邪魔してんですよね!
失礼します!」
またペコリと頭を下げ、そして白いハンカチを広げると、
「これ、洗ってお返ししますから!」
「メイドにでも渡してくれれば大丈夫だ」
それもそうだと思い、また自己嫌悪。しゅん……とうつむくと、インテグラが、
「ウォルターに伝えてくれ。30分したら、入浴(バス)にすると」
「あ、はい……」
婦警が顔を上げると、また彼女を笑顔が迎えた。
「――有り難う、セラス。今夜のお茶は、格段に美味しいよ」
「……はい!」
元気よく返事をすると、今度こそ婦警は踵(きびす)を返した。
「失礼しました!」
明るい声が響き、部屋の扉が閉じられる。――不意に、灯りが消えたような静けさが、
執務室の中に広がった。
インテグラは、カップに残っていたお茶に口をつけ、また深く息をついた。
優しい甘さが、懐かしいような、くすぐったいような笑みを誘う。
「本当に……可愛いな」
彼女の躯(からだ)からは、重苦しい軋みが抜けていくように感じられた。
それも、ほんのひとときのことかもしれないが。
9.19.2003.
ラブもエロもギャグもなーい。何で最初にこういうサービス精神のないものを書くのか……。
こう、もっと萌えとかエロとか……アーグラ書くつもりじゃなかったのか……(ブツブツ)
職場で肺に穴空いて入院した人がいて、「煙草の吸いすぎは良くないね」というお話しに。
セラスだったら、身近な人が倒れたりしたら、すっごい心配するだろうなぁと思って。
She's so sweet...なぁーんて可愛いコなんでしょ――ってコトで。
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